エフェス遺跡@セルチュク/トルコ
パムッカレからマイクロバスでデニズリへ出て、デニズリ発のバスに飛び乗るのが午後1時。
そのまま走って、セルチュク到着が午後3時30分。

セルチュクにはバスターミナルなどないのか、バスが道路の脇で止まって、僕1人だけ降ろされた。
しかし、バス停の横にきっちりと、小さな掘っ立て小屋のホテル案内所がある。

「アイペンション」という宿を紹介してもらった。
これがイズミール方向へ歩いて戻って、結構な距離があったよ。

が、バックパックを背負って歩いていると、道端でゲームをしていたおじさんたちたちから、「おー、日本人か」と声をかけられたりする。

ペンションは家族経営で、料金は5000トルコリラ。
この時期(1988年)、1トルコリラは0.1円の計算なので、約5百円だ。

なぜバスターミナルもないような町へ来たかというと、セルチュクの町の近くには、ローマ時代の巨大な「エフェス遺跡」があるから。

トルコのビールの名前がエフェスだったが、ビールの名前はこの遺跡から取ったものだろうと考える。
そこで、エフェスビールを飲む。

さて、セルチュクの町からどうやって遺跡へ行くのか、わからない。
遺跡への別れ道にボーっと立っている。

すると、バスが走ってきて、ちょうど通りかかった大きな牛にぶつかった。
牛は血を流して、痛がって走り回った。

これは当然神の啓示なわけだ。
つまり、「バスに乗るのは危ない!」ってね。

神の啓示のとおり、世界旅行者は遺跡まで、歩いて行きました。
道は一直線でわかりやすく、たった30分程度歩くと、エフェス遺跡へ到着。

遺跡の中は、さすがローマ遺跡らしく、定番の円形劇場がある。
また、図書館、神殿などの建築物の遺跡がある。
長い石畳の通り、などもあったね。

でも、いまは、インターネットで検索すれば、僕のあやふやな記憶より正確で詳しい情報が得られるので、自分で調べてください。
ぼくはただ遺跡の中を、口を開けて「すごいなー!」と歩き回っただけでした。

この遺跡で誰でも気が付いて喜ぶのが「売春宿」のあとがあることでしょう。
みんな昔からSEXが好きだったんだよなー。
まあ人間なんて、セックスをするために生きている(子孫を残すのが生物生存の理由)のだからね。

しかも、コロンブスが西インド諸島から持ち帰った梅毒も、いま大流行のエイズもなかったんだから、生でやってたのでしょう。
ま、なにかの性病はあったかもしれないけどね。

また、この時代は平均寿命が短かったので、売春婦もピチピチのヤングギャルだらけだったのではないかな。

エフェスのような大都市には、アジア、アフリカ、ヨーロッパの、世界中の美女が集まっていたと思うよ。
もちろん、買春するために人が集まってきたということもあった。

都市とは人が集まる場所、つまり様々な人間の様々なセックスがある場所なんだよ。
草原では、人間のセックスがなくて、あるのはヤギや羊との獣姦だけだけどね。

そういうセックス関連の妄想が頭に浮かぶまま、巨大な遺跡を歩き回っていたら、結構疲れた。
町へ戻ろうとしたが、また歩くのはゴメンだ。

しかしタクシーに乗れば、料金もわからないから、ぼったくられるだろう。
ミエミエにぼったくられるのがわかっていてタクシーに乗るのは、気持ちよくないね。

遺跡の入り口に警官の詰め所を発見する。
詰め所に入っていって、両手のひらを合わせて警官の皆さんを拝む。
すると、そこのトルコ人警官も同じように、僕に対して拝んだ。

このころのトルコには、東洋人の旅行者といえば日本人だけだった。
また、トルコが親日的なのもよく知られているよね。

だから、僕はこの警官に「タクシーに乗りたいのですがいくらでしょうか?」と聞いたわけだ。
すると、警官がタクシーに交渉してくれて、2500トルコリラになった。

これはうまくやったよね。
ところが、いま気が付くと、250円もしている。

一泊が500円なのに、ほんの数分乗るタクシーが250円は高いんじゃないかな。
ひょっとして、うまく立ち回ったようでいて、実はトルコ人からぼったくられてたってことかな(涙)。

ま、それは考えてもあとの祭りだ。
だって、もう20年近く前の話なんだから。

エフェス遺跡を見てしまったら、もうトルコに用はない。
翌朝は、マルマリスへとバスに乗り、それから多分、ギリシアのロードス島へ行くでしょう。

【写真】エフェス遺跡
【旅行哲学】うまく立ち回ったつもりでも、実はぼられていることもよくある。
この話 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20060319