サーファーの美男美女@マレーシアホテル/バンコク/タイ

1980年代の始めころ、僕は「インドへ行かなければ…」と、考えた。
それまで、いわゆる「旅行好き」程度の旅は繰り返していた。

つまり、カップルで行く、ハワイやバリ島、フィジーやシンガポール、フィリピン、タイ、香港なんかね。

でも、夫婦関係が悪くなって、1人でビルマへ行ったりもしていた。
しかし、ビルマは人がいいだけで、特に問題もない、特に衝撃的なところでもなかったよ。

そこで一気に、「インドへ行って、衝撃を感じて、人生を考えてみたい、考えてみたいんだよ〜ん!」と強く思ったんだ。

結婚が破綻しかけていたし、また、僕自身の人生にも問題が多すぎた。
もちろん、僕の考え方が悪いのではなくて、「僕の考え方通りに動かない日本社会が悪い」んだけどね。
その日本社会を考えてみたかったんだ。

そのころは、もちろんインターネットもまだなかったし、海外個人旅行の情報もたいして多くなかった。
また、「Lonely Planet」があることも、知らなかったかもしれない。

僕は、ただ単純にインドへ行って戻ってくるだけでは面白くないだろうと、あちこちの旅行代理店に電話をかけまくった。
「ネパールから入って、スリランカから戻ってくる切符ありませんか?」ってね。

いまだったら、こんなこと考えないだろうね。
旅行代理店も、こんな面倒な切符の手配なんかしないんじゃないかな。

でも、その時代は、ちゃんとやってくれたよ。
それが銀座にあった「世界ツーリスト」だった。
(いまチェックしたら、世界ツーリストは2003年に廃業したらしい)

結局、バンコクを経由してネパールのカトマンドゥへ入り、スリランカのコロンボからバンコク経由で日本へ戻ってくる切符を手配してもらうことができた。

成田からバンコクまでは、たしかパキスタン航空だったかな?
いや、お酒が出たから、そうじゃなかったかしら?

とにかく、季節外れなのか、ジャンボの機内は、ガラガラだった。
機内で隣同士になった美男美女の日本人カップルと話が弾んで、みんなが寝ていても話せるように、周囲に人のいない後ろの座席へ移った。

彼らは、成田空港のチェックインの時点からみんなが気にしていたほどの美男美女だった。
目立った理由のひとつは、サーフボードを持ってたから。

2人はバリ島へサーフィンに行く途中だった。
僕もバリ島へは行ったことがある上に、何しろ話が面白いので、話がどんどん続く。

また僕は、自分にないものを持った人を無条件に尊敬する。
だから、誰が見てもスタイルのいいファッショナブルな美男美女を素直に褒め上げられる。

日本では、ネタミ、ソネミ、ヒガミなしに、心からほめられるというのは珍しい。
彼らもうれしかっただろう。

後ろの席で、ビールをたくさん頼んで、ビールを持ってきたスチワードと一緒に盛り上がったよ。
昔はすべてがいい加減だったんだよ。

深夜にドンムアン空港に到着して、僕が誘って、3人でマレーシアホテルへ直行する。
部屋を確保して、そのころマレーシアホテルの一階にあったクラブへと集合した。

バンドも入り、きれいな歌手もいて、なかなか雰囲気があった。
そこで、カップルの男性の方と、「ここらは、売春婦がいるんですよ。あれはそうかなー」なんて、話をしていた。
きれいな女の子が「二人のそんな話なんて聞きたくない…(涙)」って、泣き出したんだ。

ものすごく純情で、きれいな女性だったな。
男性の方も、そのころの雑誌「ブルータス」から抜け出したように格好よかった。

僕は昔からそんなにファッショナブルな人間ではない。
だから、彼らと東京ですれちがっても、六本木のパブで同じテーブルについても、誰かに紹介されても、ゼッタイにまともな言葉を交わすような関係にはならなかったと思うよ。

僕と彼らとは、住む世界がまったく違ったんだから。

でも旅先では、すべての境界がぼんやりと、消えてしまう。
僕もうれしかったけれど、彼らも変なおじさんと知り合えてとても喜んでいた。

翌朝、僕はマレーシアホテルの小さなプールでちょっと泳いだ。
そのあと、カップルを連れて、トゥクトゥクと交渉をして、行った先が超一流のオリエンタルホテルだった。

ここのチャオプラヤー川に面したテラスで、お茶を飲むのが粋だったね。
で、僕はお茶を飲みながら、何年か前に一緒にここに来た、僕の結婚相手のことを思ってたんだよ。

【写真】マレーシアホテル
【旅行哲学】旅に出ると、日本ではゼッタイに知り合えない人と知り合ったりするね。
この話 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20060506