写真家・並河萬里氏の思い出@イスタンブール/トルコ
写真家の並河萬里氏が、2006年5月7日、逝去された。
世界旅行者は並河氏に、1988年5月1日、イスタンブールの考古学博物館で出会ったことがある。

僕はそのころのイスタンブールの日本人宿、「エリットホテル」に泊まっていた。
ホテルにいた日本語ペラペラの「フリエ」嬢や彼女の弟?の中学生くらいの若者と、じゃれあって遊んだりしていた。

イスタンブールに来たのはいいが、もともとガイドブックを持ってない。
いろんな人に聞いて、どうやら、トルコの名所は「カッパドキア」と「エフェス遺跡」らしいと見当をつける。

トルコからシリア、ヨルダン経由でエジプトへ行こうかと、シリアのビザを取ることを考える。
シリアのビザを取るにはそのころ、日本大使館のレターが必要だった。
で、日本大使館へ行ったら、その日が4月29日、そのころの天皇誕生日で、日本大使館は休み。
「これは、シリアへ行くなってことだな」と、神の啓示を読み取った。

イスタンブール中を見学して、ボスボラス海峡のツアーにも参加した。
そのあと、考古学博物館へも行ってみた。

そこでたまたま並河萬里氏に会ったんだ。
確か「並河萬里氏といくトルコのなんとか」みたいなツアーで、ツアー参加者に展示物の説明をされていた。
僕はテレビで見てよく知っていたので、「あれ並河萬里がいたー♪」と思っただけで、邪魔にならないよう、横を通り過ぎただけだったんだけどね。

ご冥福をお祈りします。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060508-00000134-kyodo-ent
並河萬里氏が死去 シルクロードなど遺跡写真
 
 シルクロードなどの遺跡写真で知られる写真家の並河萬里(なみかわ・ばんり)氏が7日午後9時35分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院で死去した。74歳。東京都出身。自宅は横浜市保土ケ谷区月見台。葬儀・告別式は10日正午から東京都世田谷区北烏山4ノ10ノ1、源良院で。喪主は妻慶子(けいこ)さん。
 日大芸術学部卒。テレビ局勤務を経てフリーに。取材先のシリアで遺跡が破壊されるのを目撃して以来、文化財撮影を生涯のテーマに据えた。中近東やアジア、中南米など幅広いフィールドで活躍し、多くの写真集を出版した。
 長く国連教育科学文化機関(ユネスコ)の顧問を務め、2001年にはバーミヤン遺跡の破壊に抗議して写真展を開くなど、文化財の保存を広く訴え続けた。
(共同通信) - 5月8日18時11分更新