アグラフォートにて@アグラ/インド
僕はネパールのポカラからインドのバーラナシー(ベナレス)へと、バスを乗り継いで国境を越えた。
そのあと、鉄道とバスを乗り継いで、「乱交セックスレリーフ」で有名なカジュラホ。
カジュラホからは、オーストラリア人の若者2人と助け合ってバスでアグラへと到着する。
アグラといえば、誰がなんと言ってもみるものは一つ「タージマハル」だよね。
しかし僕はまず、「アグラフォート」へ向かった。
アグラフォートでは観光客を入り口でまとめて、グループにしてガイドがついて説明をしていた。
インドは本当に英語の勉強には最適のところで、誰でも物乞いの人でも英語を話す。
すべての案内は英語で表示してある。
そこで僕は「Collins Gem English Dictionary」をいつもポケットに入れて、わからない単語があればすぐに調べるようにしていた。
アグラフォートでは「booty(戦利品)」「turret(要塞上の小塔)」という言葉がわからなくて調べていたら、「なにがわからないんだい?」と声をかけてきたイギリス人と親しくなった。
それで、彼に頼んで自分の写真を取ってもらったよ。
アグラフォートからタージマハルへ歩いていったが、リキシャーマンに声をかけられる。
適当に返事をしたのがまずかった。
一度くっついたらリキシャーマンはゼッタイに離れない。
「東京の佐藤さんを知ってるか?」などと聞く。
知ってるはずはないが、このころは僕はまだ旅行初心者だったので、ついうっかりと返事をしてしまう。
彼はオキマリのノートを取り出して僕に見せる。
そこには日本人旅行者が書いたらしい「このリキシャーマンは親切です」「彼がいて助かりました」などの推薦文がたくさんある。
結局、アグラフォートからタージマハルまで僕が歩いている横に、このリキシャーマンは着いてきてしまった。
「タージマハルに入ればこっちのもの、これでリキシャーマンとは縁が切れた」と思うようでは、君はインドの恐ろしさを知らないよ。
けっこうな時間を使ってタージマハルを見て、またホテルまでノンビリ歩いて帰ろうと外へ出ると、なんとあのリキシャーマンが待っていて、僕に声をかけてきた。
ここまでやられたら、普通の日本人はリキシャに乗ってしまう。
乗らないような日本人は鬼だよ。
で、僕もリキシャに乗ったのだが、ゼッタイに目的地には行かないんだ。
彼は僕を強引に土産物屋へ運ぼうとする。
リキシャに乗ったまま、勝手に土産物屋へ行こうとするリキシャーマンに、僕はアグラの地図をチェックしながら、「方向が違う!」「僕はホテルへ戻りたいんだ!」と声をかけるが、どうしたって土産物屋へ向かってしまうんだよなー、ワトソン君(涙)。
結局、途中で降りて歩いて帰ることになった。
まあ、こういうリキシャーマンは土産物屋へ観光客を連れて行くだけでお金がもらえて、その上に連れて行った客が何か買ったらそのマージンももらえるようになっているんだよね。
精神的に弱い人は、インドでのこういう交渉に疲れ果ててしまうんだよね。
でもとにかく、誰でも声をかけてくるので、慣れてくると、それはそれでインド旅行の楽しみなんだろうけどね。
【写真】アグラフォートの世界旅行者(後ろに見えるのがturretです)
【旅行哲学】インドは本当に一人でいられないね。
この話 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20041026