アンコールワットの想い出@シェムリアプ/カンボジア
2002年にシェムリアプを訪れた時、到着した夕方にちょっとアンコールワットを見ただけで、それ以上あえて見物することはなかった。
というのは、僕は1994年に一度ここへ来ていて、そのとき一緒だった日本人旅行者と3人で、車を一台借り切って、あちこち見て回ってたからだ。
実はそのときの想い出がはっきりと僕に残っていて、その記憶を守りたかったんだね。
実際、ちょっと見ただけで、観光客の数が大きく違っていた。
1994年は、外務省の危険情報が出ていたくらいで、旅行者も少なく、アンコール遺跡群の片隅に戦車が動いていたものだからね。
で、アンコールワットの下の回廊も上の塔の部分も、僕一人で登り歩き回ったりしていた。
観光客が少なかったので、風景を完全に独り占めすることができたんだよ。
大きな顔の石像で有名な「バイヨン」なんかも、一人で登っていった。
上の祭壇みたいなところでお賽銭を上げて、静かに祈った。
祈ったあと、階段を降りてきたら、急に便意を催してきた。
しかし、1994年のバイヨンは、確か一緒のタクシーで来た僕の友達しかいない。
誰も気にする人はいない。
気にするのは、アンコールの神々だろうが、神様くらいになると僕がウンコしたくらいでは怒らない。
神様はもっと大きな心を持っているだろう。
と考えた世界旅行者は、バイヨンの石造建築物の陰で、静かにウンコをしていた。
ゆっくりとしゃがんでいると、少年がやってきた。
僕を見つけて何も言わず、しゃがんだままの僕に、帽子を手渡してくれたよ。
僕はしゃがんだまま、手を合わせて少年を拝んだね。
お祈りをしたときに、帽子を脱いで、それを置き忘れていたらしい。
少年は、わざわざ帽子を持って、僕を捜してやって来てくれたんだ。
でも、ウンコしているところを見られたのは、ちょっと気まずかった。
あのウンコはまだバイヨンにあるだろうか?
8年もたっているのだから、当然、雨に流されて、バイヨンの石組みの中に溶け込んで、自然に戻っていることだろうけれど。
そのころは、どの遺跡に行っても、子供たちに取り囲まれて、いろんなものを売りつけられたものだ。
遺跡に上ると、あとを追いかけてきて離れず、いろいろと話をしたっけ。
片足のない子供たちが多かったな。
だから僕は、シェムリアプへ着いた夕方に、無料でアンコールワットの前庭の通路を歩いただけで建物本体には入らず、もうそれ以上は見ないことにしたんだ。
【写真】アンコールワットを背にした世界旅行者
【旅行哲学】過去の想い出を守るためには見ない方がいいこともある。