「バリビーチホテル」@サヌール/バリ/インドネシア

僕が最初にバリへ行ったのが、1980年前後だったと思う。
そのころ持っていたクレジットカード会社のキャンペーンのツアーだった。
ガルーダインドネシア航空のバリ便が就航したのを利用して、会員向けのツアーが組まれた。
そのせいか、そのクレジットカード会社の若手社員が世話係を兼ねて参加していたよ。
このころ僕はまだ結婚していたし、日焼けするのが趣味でもあったから、バリビーチホテルの中庭のプールサイドで本を読みながら、寝そべっていたりしたものだ。
同じツアーに参加した、まあまあいい身体をしていた若い女の子に、クレジットカード会社の社員と一緒に「オイルを塗ってあげるよ♪」という理由をつけて、彼女の体中を撫で回したりした(笑)。
女の子も喜んでた。
ただ、彼女は日焼けするのが大好きになって、丸一日プールサイドにいたようだ。
日に焼きすぎて、ツアーの終わりごろには、火ぶくれやけどで医者にかかった。
帰りの飛行機に乗るときには、体中に軟膏を塗ってたけどね。
僕は若いときから朝が早い。
夜が明けるころ、まだ誰も起きださない早い時間に、ホテルのプールに飛び込んで1人で泳ぐのが好きだった。
バリビーチホテルのプールはいくつもあったが、僕たちの部屋から見えるプールは水深が3メートルほどあった。
僕はジャックナイフ形のダイブをして、スーッとプールのそこまで潜って、そこから水面が太陽の光できらきらしているところへ向けて、ゆっくりと昇っていく。
これが気持ちよかった。
夕方ごろ、ドイツ人の大学教授夫妻と出合って、水泳の競争をしたこともあったね。
相手がドイツ人だから、「今度はイタリア抜きにやろう!」なんて、定番のジョークを言ったりした。
タートルアイランドにホテル前ビーチのボートで行ったら、料金を吹っかけられて、ケンカになったこともあった。
まだまだ「観光客はぼったくられるもの」という旅行定理を知らなかったころだ。
嫁さんと一緒にバリビーチホテルを歩いて出て、近くの小さなレストランで、タートルステーキを食べたこともあった。
バリビーチホテルに出入りしていた旅行会社から、100cc程度のバイクを借りた(確か1日10ドルだったと思う)。
それに乗って、嫁さんを後ろに乗せて、バリビーチホテルのあったサヌールビーチから、バックパッカーの多いクタビーチへとぶっ飛ばした。
そのころのクタビーチには、日本人はほとんどいなかった。
日本人のサーファーみたいなのが数人いたが、ビーチの片隅に固まって、おどおどしていた。
クタビーチにはトップレスの白人がたくさんいた。
サヌールのバリビーチホテルは伝統のある一流ホテルだった。
敷地も広くて、プールも何個もあったし、レストランもホテルのショップの店員も、とても感じがよかった。
でも僕は、クタビーチで、安いTシャツ屋、お土産屋なんかを見て、オーストラリア人の若者の旅行者を見たときに、「僕はサヌールビーチにいる人間ではなくて、クタのごたごたした安いところにいるべき人間なんだろうな…」と思った。
ま、それが僕が嫁さんに逃げられたり、いつまでも金持ちにならない(なれない)原因なんだろうけどさ(笑)。
【写真】バリビーチホテル
【旅行哲学】昔は日焼けを積極的にしてたけれど、いまはそういう人はいないよね。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20050908
