チェンラにいた女の子の心を開放する@チェンラ/シェムリアプ/カンボジア

2002年の夏8月、シェムリアプへ着いて、夕方ちょっとアンコールワットを見た。
翌日はチェンラの2階のテラスで、雨を見ながら、隣のガソリンスタンドにくっついたコンビニで買ったビールを飲んでいました。

雨といってもたいしたことはないから、アンコールワット遺跡群を見に行くことはできる。
しかし僕は行かない。
つまり、シェムリアプにいるのに、アンコールワットを見に行かない。
僕もここまで成長したか…、って思ったね。

その朝、チェンラの前にマイクロバスがやってきて、旅行者をぎっしりと詰め込んで、出発していくのを見ていた。
これが噂のシェムリアプからバンコクへのツーリストバスだ。

この時期チェンラに泊まっていたのが20代前半の若い連中が多くて、クターッと一階ロビーの長いすにねっころがって、マンガを読んでいる。
なんか全然元気もないし、面白そうなキャラクターでもない。

東南アジアはいま、このタイプのボーッとした若者の旅行者があふれているようだ。
というのは、フエの日本人宿「ビンジュアン」にも、ロビーでマンガに読みふけっているだけで、会話もない若者集団がいたからね。

チェンラの玄関に女の子がいたので、気楽な感じで話しかけてみる。
ただ、ちょっと受け答えが固かった。
つまり、まだ旅慣れてないなと思う。

そこで「僕は上海からずーっと陸路で来たんだけどさー」と言うと、「私もそうです」との答えだ。
これはちょっとビックリしたね。

僕はかなりの高速旅行をしていたが、普通ならば上海からシェムリアプへは一ヶ月以上かかるはず。
彼女は僕よりも長く旅をしていることになる。

それだけ旅をしていたら、旅行者は旅と一体化していて、たら〜んとした気分になり、いつも意味のない頬笑みを浮かべていて、誰とでもふにゃ〜と付き合えるものなんだがなー。

ということは、彼女はここまで旅をしたのに、心を開放してないんじゃないか。
心を開放しないで、ただ旅を形だけやってもつまらないのだが。

それなら、ちょっと一緒に付き合って、心を開放してあげよう!
と世界旅行者は考えた。

さらに話を続けようとしたら、「私バスに乗るので、あれかな!」と言って、やってきたマイクロバスに走り出した。
僕も一緒にバスのところまで行く。

彼女が持っていたのがピンクの乗車券だったが、「このバスは黄色」というので、違うようだ。
次のバスを待ってちょっと話をしたら、すぐに別のバスが現れた。
僕が走っていって、ピンクの乗車券のバスだと確認する。

バックパックをバスの屋根に載せるのを手伝って、彼女がバスの中に入って、シートに座るのを確かめる。
近くに日本人の若者がいたので「彼女のことよろしく頼むね!友達だから」と声をかけると、「はい!」という元気な声が返る。

バスが出発しようとしたので「元気でねー♪」と女の子に声をかけると、にこっと笑ったが、その顔はついさっきまでと違って、心が旅に開かれていることが見えたね。
つまり、世界旅行者はほんの数分で、かたくなだった女性旅行者の心を開いてしまったんだよ。

つまり、一ついいことをした。
一日に一つ記憶に残ることをすれば、旅ではそれで十分だ。

だから、今日はこれだけで十分と考えて、チェンラのテラスで雨を見詰めて、ビールを飲んでいたんだ。

アンコールワットに行ってもよかったが、雨ならば、無理して行くことはない。
アンコールワットのすぐ近くにいて、しかもアンコールワットを見ない。

これこそが、究極の粋な旅のやりかただ。

つまり、真っ白な砂浜と青い海、雲ひとつなく晴れた空の下で、海に入ることなく、きれいなビーチにあるカフェで本を読んでいるようなことだよ。

すぐに水に入れるのに、入らない。
いつでもアンコールワットにいけるのに、アンコールワットに行かない。

ここまで来て初めて、旅行哲学者になれるというわけなんだよね。

【写真】アンコールワット
【旅行哲学】シェムリアプにいるのにアンコールワットを見に行かない。これが究極の旅だ。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20050412