カラングートビーチ@ゴア/インド
僕はボンベイから、一晩中やかましいインド映画のビデオをながす夜行バスでゴアに着いた。
バスが止まったのが、確かゴアの基点パナジだった。

降りたら、ちいさなバスの客引きが「マプサ、マプサ、マプサ!」と、大きな声あげていた。
マプサからさらにバスを乗り換えて、カラングートビーチへと行った。
この時代でも、ビーチにはけっこう日本の若い女の子たちがいた。

僕は、しばらくカラングートビーチに居をすえて、ぶらぶらしていた。
カラングートから砂浜をずーっと南へ歩いていったことがある。

途中の砂浜に、白い土台に青い十字の墓石がポツンと一つあった。
僕は、ゴアで死んだヨーロッパ人なんだろうなと、彼の魂のために祈った。

南へ一時間ほど歩くと、まあちょっとした中級のリゾートホテルがあったっけ。
ぼくはそのホテルの海を見るバーでビールを飲んだ。

アンジュナビーチへ行って、ヌーディストの仲間になったりしたよ。
あのころ、僕はまだまだ若いといっても通る年頃で、元気にあふれていた。

ヒゲだらけのドイツ人のおじさんに頼んで、砂浜で僕の全裸写真を取ってもらったりした。
そのころは今のようなデジカメがなかったので、ちゃんとDPEできるように、チンコを手のひらで隠したのが純情だった。

白人女性が全裸で砂浜に寝ていると、インド人がやってきて股間を覗くので、怒って追い払ったりしていた。
そのあとヌーディストはアンジュナビーチから別のところへ移動したという噂を聞いた。
カラングートビーチからオールドゴア行くバスの中で、70歳近い日本人のおじいさんに会った。
彼はシベリア抑留を途中で逃げ出して、中央アジアの村々を(そのころソ連では男性が戦争で死んで男性不足だったので)次々と結婚しながら(女を騙してセックスしながら)、日本へ戻ったといってた。
確かに彼は背も高いし、若い時は映画スターだったと言っても十分通用する、いい男だった。
彼の息子が京大卒だというので、ぼくと話が続いたのだった。
でも僕は、彼の話を半分は信じていなかった。
旅の話はもともと信じてはいけない。
旅の話は、ただ、面白ければいいんだから。
南インドの熱せられた大気のなかで、バスに揺られながら、彼と話したときのこと、彼の笑い顔を、僕はまだ覚えている。
彼はもうこの世にはいないかもしれない。
でも、彼はぼくの記憶の中にこうしてずっと生きている。
僕はインドを旅しながら、「自分さがし」をしていた。
人はきっと、自分が何者なのか、自分はなぜ生きているのか、自分はなにをするべきなのか、それを求めて生きている。
そして、あのときから20年たって、僕はまだ、その回答を得ることはできずにいる。
【写真】ゴア、カラングートビーチの世界旅行者
【旅行哲学】人はただ、生きる意味を求めて旅をしている。