僕はボンベイから、一晩中やかましいインド映画のビデオをながす夜行バスでゴアに着いた。
バスが止まったのが、確かゴアの基点パナジだった。
降りたら、ちいさなバスの客引きが「マプサ、マプサ、マプサ!」と、大きな声あげていた。
マプサからさらにバスを乗り換えて、カラングートビーチへと行った。
この時代でも、ビーチにはけっこう日本の若い女の子たちがいた。
僕は、しばらくカラングートビーチに居をすえて、ぶらぶらしていた。
カラングートから砂浜をずーっと南へ歩いていったことがある。
途中の砂浜に、白い土台に青い十字の墓石がポツンと一つあった。
僕は、ゴアで死んだヨーロッパ人なんだろうなと、彼の魂のために祈った。
南へ一時間ほど歩くと、まあちょっとした中級のリゾートホテルがあったっけ。
ぼくはそのホテルの海を見るバーでビールを飲んだ。
アンジュナビーチへ行って、ヌーディストの仲間になったりしたよ。
あのころ、僕はまだまだ若いといっても通る年頃で、元気にあふれていた。
ヒゲだらけのドイツ人のおじさんに頼んで、砂浜で僕の全裸写真を取ってもらったりした。
そのころは今のようなデジカメがなかったので、ちゃんとDPEできるように、チンコを手のひらで隠したのが純情だった。
白人女性が全裸で砂浜に寝ていると、インド人がやってきて股間を覗くので、怒って追い払ったりしていた。
そのあとヌーディストはアンジュナビーチから別のところへ移動したという噂を聞いた。 |
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