ミトゥナ像(男女合歓像)@カジュラホ(Khajuraho)/インド

僕が最初にインドへ入ったのは、20年以上前、ネパールのポカラからバーラナシー(Varanasi)のルートだった。
この時期は、日本からバンコクへ、そしてバンコクからカルカッタ(コルカタ)へ飛ぶのが一般的だった。
カルカッタからインドを右回りか左回りかで、ぐるっと一周するのがインド旅行の定番。
いまのように、「一週間のインド個人旅行」のような旅は考えられなかったし、しなかったんだ。
それは、やはり航空券が高かったし、どうせインドへ行くならば、会社を辞めて、人生をかけて、長期旅行にするのが常識だったからね。
だから、旅先で出会っても普通の日本人旅行者の旅行期間は2か月か、3か月だったよ。
それと、確か昔は、インドのビザは3か月じゃなかったかな。
長期に滞在するときは、ネパールを往復するのが一般的だったね。
さて20年前、僕はバンコクからバングラデシュ航空で、ダッカへ1泊して、ネパールのカトマンズへ飛んだ。
この飛行機には日本人のバックパッカーだらけだったが、ほとんどはダッカからカルカッタへ飛んでいたね。
僕はポカラからバーラナシーに入った後、西へ進んだので、コルカタを見なかった。
また、インドの西海岸を南下して、カンニャクマリ(コモリン岬)を見たあと、スリランカへ飛んだ。
2005年に20年ぶりにインドへ行った第一の理由が「とにかくコルカタを見る」こと。
その原因は、20年前のインド旅行ルートが原因だったんだよ。
だって、世界旅行者がコルカタのサダルストリートを見ないままこの世を去るわけには行かないからね。
その20年ぶりのインド旅行の話は「20年ぶりのインド旅行記」を読んでね。
ポカラからのバスで知り合って、バーラナシーを一緒に歩き回った日本人の若者たちをバーナラシー駅で見送った。
その後、僕はバーナラシーの安宿で、持ってきた短波ラジオで日本からの紅白歌合戦を聞く。
翌朝、バーラナシーから列車に乗る。
大晦日の翌日に列車に乗るってことは、これは一月一日、つまり元旦だ。
しかも、これが最初のインドの列車体験となる。
インドの列車についてはそのころでも、切符を買うのが大変だ、混雑が激しい、席の奪い合いがすごい、という情報が流れていた。
そこで僕は、わざわざバーラナシーの旅行社に頼んで、1等の切符を手にした。
この一等はおそらく「First Class(FC)」だったと思う。
でもこれは慎重すぎたようで、1等の切符ならば簡単に入手できるし、自分でやったほうが安心確実だったよ。
実際、この旅行社が信用できなくて、僕はケンカまでしたんだからね。
バーラナシーから乗った列車はサトナ(Satna)へ向かう。
1等車のコンパートメントは、恰幅のいいインド人ビジネスマンと2人きりだった。
僕が英字新聞を読んでいると、断りもなしに、黙って新聞の一部を取って読み出した。
これも実は、「インド人は他人の新聞を黙って取って読むのが当然だと思っている」と聞いていたので、体験できて、ちょっとうれしかったよ。
サトナの駅を出たところにバスが待っていた。
バーラナシーからカジュラホはバックパッカーの定番ルート。
サトナの駅を出てバス乗り場へぞろぞろと歩くと、時間潰しに他のバックパッカー連中と話をすることになる。
僕のほかに日本人の若者が4人いたよ。
中の1人はかなり旅なれた(インド慣れした)感じの30歳くらいの日本人女性。
あとは、欧米人旅行者だらけだった。
その中に、あとで友達になるオーストラリアからの30代と20代のスキンヘッドのバックパッカーが2人いた。
みんなで協力して、オンボロバスの上にバックパックを担ぎ上げて、バスの屋根に縛りつける。
僕の記憶では、まだ日が暮れる前にカジュラホへ到着した。
そこでバラバラに別れて、といいたい所だが、安宿は固まっていたので、そちらへと進む。
結局、日本人はだいたい同じ宿に泊まったんじゃないかな。
宿の主人が「『地球の歩き方』に推薦文を書いてくれれば宿泊費を安くする」と言う。
また、「一緒に来た日本女とセックスしたいから、頼んでくれ」と、あつかましい願いをする。
何で僕に言うのか、その理由は、他の日本人諸君は英語が全くしゃべれなかったからなんだよ(涙)。
インド人は本当に強引だよ。
でも、そういうときに怒ったり、断わったり、無視したりするのが普通の人間。
僕は軽く「いいよっ♪」と引き受けて、そのあと女の子に会ったとき、「あの宿の親父が、キミとセックスしたいんだってさ」と、伝言してあげた。
女の子は「何であんなジジイと…」と無視したね。
この時期は、日本女性はインド旅行中の欧米人男性とくっついて、一緒に旅をしているのが目立っていた。
が、20年以上たった現代では、日本女性はインド各地で現地のインド人とセックスをしている。
このカジュラホも、今では日本女性の悪い評判があると聞いたね。
翌日1日かけて、一緒に来たバックパッカー連中とカジュラホのミトゥナ像(男女合歓像)をあちこち見て歩いた。
いやーいろんな珍しい体位で、3P、4P、乱交のレリーフだらけだ。
しかも、人間の男女だけではなくて、動物との獣姦もある。
なんでもありだね♪
「昔はセックスを、タブーなんかなしに、思い切り楽しんでいたんだよなー」との思いが浮かんだ。
歩いていると、このミトゥナ像を絵葉書にして、それをまとめて冊子にしたお土産が売ってある。
この時期のインドでは映画で男女がキスをするシーンが大問題だったくらいだ。
すると、ミトゥナ像の写真集は、結構人気だったのではないかな。
ところで、このレリーフをきちんと取るためには、望遠レンズが必要です。
僕はそのころピッカリコニカしか持ってなかったので、ちゃんとした写真が取れずに、残念な思いをしたものです。
せっかく行くならば、望遠レンズの付いたちゃんとしたカメラを用意する方がいいでしょう。
【写真】カジュラホの寺院壁面にたくさんあるミトゥナ像(男女合歓像)の一つ。
【旅行哲学】昔からみんなエッチが好きだったんだよなー♪
この話 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20060422
