《マカオ旅行記》 1990年4月

Ruins of St. Paul's(聖ポール天主堂跡)
香港にはもう何度も来ている。でもいつもどこかへ行く通過地点として訪れたに過ぎない。
ごみごみしてるし、宿泊費は高いし、ブランド品もそんなに安くはない。
わざわざ金を払ってまで来るような所ではない。
そういえば一度は正月のパタヤビーチのツアーに女の子と参加して、オーバーブッキングで無理やり1日香港に泊まらされたこともある。
こういう時はできるだけゴネて、和解金を取るのが「世界旅行者」の常識だ。
この時も1人当たり2万5千円出させた。
もっと取るつもりだったのだがツアーの他の参加者が素人で香港に寄れたことを喜んでいる甘ちゃんなのでどうしようもなかったのだ。
ほっとしただろ!オーキッドツアー。
長期旅行者仲間では、香港に来る理由はただ中国への入口というのが常識だ。
ここでは中国のビザが簡単に取れる。金さえ出せば当日発給だって可能だ。
しかも宿泊費を考えるとそう高い訳ではない。
この時チョンキンマンションの有名な「タイムトラベル」では「当日HK$210/翌日HK$150/2日後HK$110」の料金だった。(HK$1=20円)
香港の宿泊費が高いのは有名なので、切符さえ手に入れば香港に一泊もせずに中国へ入ることも十分可能だ。
僕の以前の旅行では先に書いたように、女性と一緒のツアーか金持ち旅行でしか香港を訪れたことがないので、僕のゼロハリバートンの大型スーツケースにはペニンシュラホテルやシェラトン香港のステッカーがバンコクのオリエンタルホテルなどと一緒に貼ってある。
でもその「酒と薔薇の日々」はすでに去り、女房にも逃げられた僕が泊まるのは、安宿の集合体・香港の中心地ネイザンロードに面したチョンキンマンションの8F「ニューアジアゲストハウス」1泊HK$115(2300円)だ。
街角のセブンイレブンではフォスターズ一缶が3ドル(60円)で買えるのだからこの宿代も高過ぎるのがわかるだろう。
翌日にはチョンキンマンションのゲストハウスを訪ねまわって、結局6Fの「ロンドンゲストハウス」に移った。
ここだと、1泊90ドル。差は25ドル。
この金でビールが8缶とつまみが買えることになる。
チョンキンマンションを下りて右に曲がった並びに結構率のいい両替屋を見つけた。
空港ではU$100=HK$738だったが、ここではHK$770だ。
共にノーコミッション。
すぐ横のトーマスクックだと741ドルと良くないので客がいない。
両替に関しても、ちょっと旅行をしただけの素人旅行者は、どこがいいここがいいとピーチクパーチク喋るが、実際は常にいい両替率の所なんてない(常に率の悪い所というのは存在するけどね)。
その時期で率のいい所は変わるというのが常識だ。
例えば1987年の秋、ロンドンではバークレイ銀行の率が一番良かったが、1988年の同時期にはミッドランド銀行の方がぐっと良かった。
情報を入手するのは大切だが、情報は更に確かめなければ却って害になる。
両替率のように簡単にチェックできる情報は何軒か当たって自分で確かめることが大切だ。
この両替所を出ようとしたら、日本人らしい可愛い女の子を見つけた。
スペイン以来の「日本女を見たらすぐ話しかける自動装置」が働いて、これからマカオへ行こうと急いでいたのに、つい話しかけてしまう。
マカオへは明日行ってもいいが、女とは今日しか会えないかも知れないのだ。
念の為に英語で日本人かどうか確かめる。大阪の女の子で名前を聞くと「サトコ」と答える。
こういう答え方をするのは海外経験が長くて外人の友達がいたか、海外に出て急に外人になり切った乗りのいい女かだ。
前者なら外人かぶれで落ちにくいが、後者なら結構行ける。
ところが、彼女の場合はどちらでもない。
友達がそこにいるという方向を見たら外人の女の子が一緒だったのだ。
2人ともユースホステル泊まりだという。外人はナディーヌというフランス人だ。
一緒に町をうろついているので「サトコ」「ナディーヌ」と呼び合っていたらしい。
サトコに「僕はフランス語ができるんだ」といって、ナディーヌにフランス語検定試験2級の実力で話しかける。
「クロワッサン・カフェオレ・ミッテラン」
変に実力を自慢するよりは、笑いを取った方が勝ちだ。
一緒にマクドナルドへ行ってラージコーヒーを飲みながら話をする。
サトコは大阪から台湾・ブルネイ・ダーウィン(オーストラリア)・香港・大阪という切符を17万円で買ったということだ。
ナディーヌはパリ 香港と北京 パリのオープンジョーで6500フラン(約15万円)という話。
日本発の航空券がどんなに高いかがこれでもわかる。
2人は香港が初めてだというので、勝手知ったる香港を案内することにする。
ただしマカオ行きのターミナルで明日のフェリーの時刻を調べるのに付き合うという条件付だ。
スターフェリーでビクトリアハーバーを香港島へ渡り、観光を兼ねてダブルデッカートラム(2階建て市街電車)のもちろん2階席に座って、マカオフェリー桟橋へ行く。
海へ突き出した巨大なビルが桟橋だ。
マカオへはいろんな会社のいろんな種類の船が出ている。
水中翼船もあるが、僕は遠慮したい。
ブエノスアイレスからウルグアイのコローニャにラプラタ川を渡った時にあまりの振動で酔ってしまい、危うくあげそうになった経験があるのだ。
水中翼船は見た目は良いが乗り心地は最悪のうえ景色が見えない。
甲板でゆったりと景色を眺めて旅をするにはここでは高速フェリーが一番だ。
時間を調べると高速フェリーは朝の7時半から2時間おきに出ている。
これにしよう。
9時半のやつに乗れば良いだろう。11時にはマカオに着く。
切符を予約してしまうと明日朝早く起き過ぎた時に困るので切符は買わない。
これだけいろんな船が出てれば何とかなるはずだ。
70番のバスに乗ってアバディーンに行き、サンパンに乗って港を観光する。
3人でHK$60に交渉する。
これは女の子が持っていたJTBのポケットガイドの値段HK$80よりぐっと安い。
一人当たりHK$20だ。
町をうろついている内に夕方になったのでミニバスで中環(セントラル)へ戻りまたスターフェリーで尖沙咀(チムシャツイ)へ渡り、小さな中華料理店にはいる。
翌日マカオに行く約束をする。
正直言うとこの約束はしたくなかった。
約束の時間に彼女らが現れなかったら僕は待つ気がないのだ。
僕が遅れたって待って欲しくはない。
明日のことは解らない。
明日の朝になれば僕の気が変わっているかも知れないし、僕の白馬に乗った「東京に土地を持っている金持ちで独身の30代までの」王女様が現れるかもしれないのだ。
その時に少しだって後ろめたさを感じていたくない。
本当は約束なんかしたくないんだけれど、女の子に「一緒に行って」と頼まれると断れない。
おじさんは若い女の子には弱いものだ。
成り行きで約束してしまった。
次の朝は国境を越える日の僕の常として早く起きた
。しかし9時半の約束なのでゆっくりトイレにはいり、8時頃にチョンキンマンションの前の尖沙咀駅からMTR(香港の地下鉄だ)に乗って香港島の上環(ションワン)駅へ直行する。
マカオフェリー桟橋の切符売り場へ行くと9時半の高速フェリーは満席という。
他の船も全部昼過ぎまで満席という表示が出ている。
やはり約束に関係なく朝一番の船に乗れば良かった。
僕はとにかく無理をしないというのが方針なんだから、こういう時はマカオに行ってはまずいということだ。
本当なら今日は止めにして映画館にでも行くのだが、一応約束しているので出発時刻までは待つことにする。
サトコとナディーヌはぎりぎりに姿を現した。
9時半の船は満杯だと説明して、窓口の女の子に午前の便がないことを確認を取ろうと「午前中にマカオに行く便はないんでしょ?」と聞く。
「キャンセル待ちしなさい!」というのが返事。
あわてて3人でフェリー乗り場のゲートに行く。
ゲートのお兄さんがフェリーの座席表を手にしている。
昔の飛行機の座席割当の時使っていたみたいな、座席のシールをはがして乗船券につけるという方式だ。
残っているシールの数を見ると10席以上ある。
ぎりぎりで駆け込んでくる人もいるだろうが、乗れることには変わりがない。
料金はゲートで払うのでお金を握り締めて払う用意をする。
しかし係員は本当にぎりぎりまで席を出さない。
いやに慎重だ。いらいらする。
ついにGOの指令が出た。
切符を買う。
3席続きのシールをはがして僕たちの切符に貼る。
フェリーに向かって走り出す。
しかしここでは、ただ船に飛び乗れば良いという訳には行かない。
イミグレーションで出国審査を受けなければいけないんだ。
出国ゲートの前に書類記入のテーブルがある。
ここで大失敗をしてしまった。
慣れているはずなのにあわててつい香港出国カードを書き始めてしまったのだ。
これは香港入国時にパスポートにくっつけてくれた半券を出せば済んだのに!
僕は書類を書くのが異常に早いのでこれに気付いた時はもう書類を書き終えていた。
女の子も僕に釣られて出国カードを書いていたので「それは要らないよ!」と声をかけ、さっさと出国審査を受ける。
女の子たちも後に続くがもたもたしている。
がらんとしたターミナルに「高速フェリー乗り場」の案内が英語で出ている。
走りながらその指示通りに通路を曲がる。
途中に無線機を持った職員がいて僕を急がせる。
「女の子が2人後から来る!」と叫び、後ろを振り返るが人影が見えない。
とにかく船に乗り込まないと、ここは香港なので勝手に出港するだろう。
やっと船のタラップにたどり着く。
船はもうエンジンの出力をあげて、船尾からは激しい泡が沸き立っている。
船の上からターミナルを見るが誰も来る様子がない。
職員を捜して女の子のことを話そうか?しかしもう船は波止場を離れようとしている。
仕方ない。見捨てよう。
ここで僕が粋がって船を下りても、それはただ自虐的な自己満足だ。
船の中に入り僕のA29のシートを見つける。
彼女たちが座る予定だったA30と31の席がむなしい。
しかし正直な所をいうと、ほっとした。
特に相性の合う人とでないと2日も一緒というのは疲れるだけだ。
マカオに着いて、有名なフローティングカジノまでバスに乗って行く。
カジノは想像していたよりもずっと小さい。
中国人の賭け方は激しい。
最低でもHK$100(2000円)は賭けている。
僕の1日の宿泊費よりも多い。
一人だけ船に乗れたのは運がいいのか悪いのか。
100ドル札を出して「大小」に賭けてみる。
この「大小」は昔マニラのフローティングカジノが焼ける前に女の子と行って勘が冴え渡ったゲームだ。
小・小と連続して取って、400ドルになった。
約8000円だ。
これを女の子たちへの供養の気持ちで全部小に賭ける。
大が出た。
400ドルがパア。
でもこれで気がすんだ。
さっさとカジノを出て名所見物を始める。僕は観光客なんだ。
セントポール天主堂跡・モンテの砦・セントドミンゴ教会と歩き、ホテルリスボンへ歩き、今度は自分のためにまた小に100ドル賭けるが負けたので止める。
更に歩いてフェリーターミナルまでたどり着く。
いやに人が多いので胸騒ぎがしてチェックすると、船の切符を買うために2階の切符売り場から階段、さらに表まで人があふれている。
マカオからの帰りのボートの切符が取りにくいと、そういえば香港の東急百貨店の日本書籍売り場で立ち読みしたガイドブックに書いてあったっけ。
一番早くマカオを出る船の切符に並ぶ。
香港フェリー社の「ホバーフェリー」だが、どうやら香港島のフェリーターミナルに着くのではないらしい。
良く解らないまま乗り込むと百万ドルの夜景の中を九龍(カウルーン)サイドに着く。
でも結局着いた所はチムシャツイのチャイナフェリーターミナルで、ホテルのすぐそばで、歩いて帰れる距離だった。
結局、香港島のフェリーターミナルへ戻るより近かった。
神様が女の子のことを許してくれたのだろう。
さてこのお話はここで終わり。
今回の教訓は、足手まといは最初から切っておけという所だろうか。
さて、女の子たちはどうなったかっていうと、次の日、出会った同じ両替所の前に2人でいるのを見かけた。
僕は慌てて身を隠してしまったが(根性無し!)。
幸せになってね。
ナディーヌ、日本人はみんな僕みたいだって思わないでね。
だって僕は普通の日本人じゃない、僕は「世界旅行者」なんだから。
