雨で腐ったような通りとビル@ラングーン/ビルマ

これは1980年代初めのころだと思うが、はっきりしない。
まだカオサン通りにバックパッカーの姿がなく、バックパッカーはマレーシアホテル周辺に集まっていた時代だ。
僕はバンコクで、自分でビルマ大使館へ行って、ビルマのビザを取って、バンコク〜ラングーンの往復切符を買って、飛んだ。
これが6月ごろで、ちょうど雨季のど真ん中だよ。
湿度はものすごく高くて、時々猛烈なスコールも来る。
だいたい5月から10月までの雨季は、ラングーンでは湿度が80パーセントを超えているんだから。
ビルマでは、雨季は移動が不可能で、戦争をやめてたくらいなんだからね。
そのころビルマでは、外国タバコやスコッチウィスキーは高く売れるということだったので、持っていったよ。
持ち込みは洋酒一本までという規則だったが、自分用に1本持ってて、それを少し飲んでいたので、税関でちょっと揉めたけど、最後は通してくれた。
僕はタバコを吸わないので、空港からのタクシーで、運ちゃんにタバコを売り飛ばしたっけ。
で、宿泊先なんだけど、インヤレイクの湖畔に立つ「インヤレイクホテル」に泊まってしまった。
これは、確かそのころ最高級ホテルだったはずだ。
少し前に田中角栄氏がビルマ訪問をしたとき泊まったという話だった。
ただ、僕の泊まった部屋は内装もボロボロで、かなりひどかったけどね。
でもシングルで25米ドルだった。
ホテルにはプールもあったが、水はどんよりとにごってとても泳げる雰囲気ではない。
だいたい、雨季のビルマに観光旅行に来る人は少ないみたいで、ホテルのロビーにも観光客の人影がない。
市内ツアーに申し込むと、翌朝、大型バスが一台やってきた。
客は、僕1人だ。
それに対して、運転手、日本語ガイド、日本語ガイド見習い、暇そうな人の4人が付いた。
すると、ボーッとただ座っているわけには行かない。
やはり、日本語で会話をする。
日本語ガイド見習いは、日本語ガイドの練習に来ているわけなので、いろいろと日本語で話しかけてきて、その日本語を訂正したり、アドバイスを与えたりする。
これって、お金を払ってるのに、ビルマ人への日本語教師をしているような気持ちになったよ。
ただ、このころまでは、日本からの戦跡ツアーが多かったようだ。
つまり、ビルマといえば、大東亜戦争中に日本軍が占領していたところで、特にインパール作戦では膨大な戦死者を出した。
だから、生き残った戦友が遺骨収集やなんかで、結構きていたようだ。
それで、日本語ガイドの需要も多かったみたいだけどね。
日本語ガイドの青年と話をして、彼の勉強の助けにと、日本から国語辞典を送ると約束した。
それをすっかり忘れていたら、絵葉書が届いたので、気張って送ってあげたっけ(このエピソードは「間違いだらけの海外個人旅行」に書いてあります)。
ラングーンの町は、昔のイギリス統治時代のきれいな街並みがすべて、降り続く雨の中で腐っているような、不思議な感じがした。
【写真】ラングーン、イギリス統治時代の建物が雨で腐っている通り。
【旅行哲学】人が行く前にビルマに行っている、これがさすが世界旅行者♪
