「ブラックレイン/Black RAin (1989) 」で松田優作を見る@チャイニーズシアター/ハリウッド

松田優作は1989年11月6日に死亡した。
ロサンジェルスの伝説の安宿「ホテル加宝」宿泊者がそれを知ったのは、多分朝の日本語ニュースからだったのだろう。
米国時間では11月7日のことだった。

ブラックレインはすでにアメリカで封切られていた。
加宝仲間には、その映画を見た人もいて、「優作が死んだ!」と、大騒ぎになった。

僕はロサンジェルスタイムズ日曜版で上映館を調べて、1989年11月14日に、わざわざハリウッドのチャイニーズシアターへ行ったよ。
もちろんチャイニーズシアターとは、ハリウッド通りにある、劇場前にスターの手型足型がある、ロスに行った人が必ず訪れる、あの観光名所だ。
チャイニーズシアター前の有名映画人の手型足型を見た日本人はたくさんいる。
でも、チャイニーズシアターで実際に映画を見た人はそんなにいないだろう。
そういう意味でも、世界旅行者としては、チャイニーズシアターに入って内部を見ることは、意味がある。
だからこうやって思い出を書いても、読者に与える感動が違うわけだ。
もちろん、シャワーを浴びて、いいTシャツを着て、下着も穴の開いてないものにした。
髭も剃って、髪もシャンプートリートメントして行ったのじゃないかな(このときは僕は髪が長かった)。

朝の回だったせいか、封切られてしばらくたっていたためか、館内はガラガラだった。
でも中南米をぐるっと一周して戻ってきたばかりの世界旅行者が、松田優作と2人で向き合うには、いい環境だった。

ブラックレインの松田優作の鬼気迫る演技については、いまさら言うまでもない。
若者に人気のある日本人俳優のハリウッドデビュー作というので、期待も大きかった。

僕は、テレビの「探偵物語」や、映画「野獣死すべし(1980)」で、松田優作のファンだった。
映画自体の出来もなかなかだったが、リドリー・スコット監督の大阪や日本人の表現が魅力的だった。
映画は映画としてすばらしかったが、僕は松田優作を見ていただけだった。

個性的で、野心のある、ハリウッド進出したばかりの前途有望な優作が、志半ばで逝ってしまった…。
ただ、それまでに世界各地の遺跡を見て、悟りを得ていた僕は、哀しくはなかった。
人は死に、すべてのものは滅びる。
僕も、キミも、そう遠くないうちに老いて、死んでいく。

人生50年が80年に伸びたとしても、本当に短い時間だよ。
それを僕は知っている。
だって、世界中の遺跡が旅行者に伝えようとしているメッセージは唯一つ。
「すべてのものは滅び、そして、忘れ去られる」
【写真】ブラックレイン
【旅行哲学】人は死すべきものである(Man is mortal)
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20061118