ミニバスにラゲッジラベルを置き忘れる@パムッカレ/トルコ

これは1988年の春のこと。
ロンドンからアテネに飛んで、シンタグマ広場で出会った日本人から、イスタンブールの話を聞く。
実は、アテネからエジプトへ飛ぶつもりだったが、イスタンブールも魅力的だね。
ガイドブックがないので、簡単なイスタンブール地図をノートに書いてもらった。
それだけでトルコ旅行の始まりだよ。
いまどきのやわな旅行者とは違って、ガイドブックも何にもなしに、アテネからイスタンブールへ行った。
イスタンブールの宿も、現地で探した。
そこでであった日本人からトルコの情報を入手する。
サントリーのコマーシャルで有名だったカッパドキアへと、夜行バスに乗る。
いろいろあって、アンカラへ戻り、ある理由があって、またカッパドキア。
カッパドキアから、カイセリへ。
カイセリに一泊して、コンヤヘ移動する。
カイセリを午前11時半に出て、コンヤのバスターミナル着が午後5時だった。
つまり、カイセリからコンヤまで5時間半かかった。
コンヤは結構見るものが多かった(これはコンヤの項で別に、詳しく書こうと思う)。
コンヤ観光を一通り終えて、コンヤのOGOGAR(バスターミナル)を午前10時発のデニズリ行きバスに乗る。
途中で山に囲まれた湖の淵にある町EGRIDIR(エイルディル)を通る。
この町はとても興味深い風景だったので降りてもよかったのだ。
だが、バスはエイルディルを通過して、ISPARTA(ウスパルタ)で休息をとる。
デニズリのバスターミナルに到着したのが午後6時。
つまり、コンヤからデニズリまでは8時間かかった。
デニズリのバスターミナルで、マイクロバスに乗り換えて、パムッカレに向かう。
このバスでは、日が暮れかかる時間なので、イライラしていた。
やっとパムッカレの町に着いたと喜んで飛び降りる。
すると、あわてすぎていたのか、バックパックは持って降りたのだが、貴重品の入った吉田のラゲッジラベルのショルダーバッグを置き忘れた。
この時はかなり焦っため。
バスは僕のラゲッジラベルを乗せたまま、上の石灰棚へ行ったのは間違いない。
下で、降りてくるバスをチェックしていたが、らちが明かない。
トルコ人連中とタクシーに乗って、上の駐車場へ行った。
するとそこには、同じ形のミニバスがずらりと並んでいた。
それを次々とチェックしたら、一つのバスのシートの上に、僕のラゲッジラベルが手付かずに置いてあるのを発見(笑)♪
なにしろ、パスポートやクレジットカードなどが入った貴重品袋を、このラゲッジラベルに入れてあったんだ。
なくなったら大変なことになっていた。
無事にラゲッジラベルが見つかった時は、ほんとにうれしかった。
一時は、パスポートの再発行の手続きのことまで、いろいろと考えたのだから。
これ以来僕は、旅行中は財布とパスポートを、必ずジーンズの前ポケットに入れておくことにしたんだよ。
一緒に探してくれたタクシーの運転手さんや、暇だったのか手伝ってくれたトルコ人の皆さんに、コーラをおごる。
このころはトルコ人もあっさりした気のいい人たちばかりだったので、この程度でみんな満足してくれた。
いまだったら、置き忘れたバッグ自体、すぐに消え去ってしまうことだろう。
また、一緒に探したお礼をしつこくせがまれたことだろう。
安ホテルの屋上レストランでちょっと豪華な食事をして、ワインを飲んで、ぐっすり眠った。
ベッド身体と精神を休めて、翌朝歩いて石灰棚まで上っていった。
僕が行った時は、5月。
観光シーズンでなかったせいか、お湯もそんなに流れていなかった。
それに、石灰棚も特にきれいだとも、大きいとも思えなかったよ。
周囲に人が誰もいなくて、空気も肌寒く、とても温泉に身体を浸す気分にならない。
石灰棚の温泉といっても、実際はがっかりするようなものだった。
それよりも円形劇場の遺跡が興味深かったね。
遺跡を歩いていると、子供たちが(多分ニセモノの)コインを売りつけに来たりした。
このパムッカレについては、正直、遺跡としてはたいしたものではないし、温泉としても期待はずれじゃないかな。
時間がないなら、トルコ旅行からパムッカレは外しても問題ないと思う。
僕はパムッカレに2泊しただけで、すぐに次の目的地、エフェス遺跡のあるデニズリへと向かいました。
【写真】パムッカレの石灰棚
【旅行哲学】パムッカレはハズレだと思う。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20060925
