《成都からポタラ宮へ 成都の交通飯店でラサへのツアーに参加して、ラサに到着して宿を決めるまで》

001) 世界旅行者が成都へ着くと、すぐにラサへ飛べるような用意ができていた!
002) ラサを歩くと胸がドキドキ、頭がふらふらするのは、高度のせいなのか、それとも長城ワインのせいなのか。
003) そして、全世界の旅人の憧れ、ポタラ宮へ。
001) 世界旅行者が成都へ着くと、すぐにラサへ飛べるような用意ができていた!
(注)世界旅行者が、アーミージャケット姿でポタラ宮の前に立っている写真は、「大人の海外個人旅行」のオビに使われていますよっ♪
1999年7月24日(土曜日)朝8時、小雨にけむる成都駅に到着。
北京西駅から一緒に2泊3日の鉄道旅行をしてきた、美人有名女子大生「外見純子」嬢と、駅の外に出て、交通飯店へのバスを捜す。
(注)ここで出てくる外見純子嬢は、僕が西アフリカに行った時に会った外見純子嬢とは別の外見純子嬢ですから、誤解のないようにね。
というのは「成都へ行けば交通飯店」が、このころの海外個人旅行の定番だったんだよ。
交通飯店に行けば、そこにはラサへのツアーを手配してくれる旅行代理店があるので、バックパッカーが集まっているってわけでね。
ま、北京ならば京華飯店、上海ならば浦江飯店、成都ならば交通飯店、昆明ならば昆湖飯店みたいなものかな。
結局、海外個人旅行なんてさ、ポイントさえつかめば単純明快、とっても簡単なことなんだよ(笑)。
アーミージャケットのポケットから「Lonely Planet」をサッと取り出して、成都の項目をぺラッと開いて、チラリと読むと、「交通飯店へは16番のバスに乗れ」と書いてある。
しかし、駅前のマイクロバスの中から、16番を見つけて乗り込んでも、運転手と言葉が通じず、料金も確認できず、わけがわからない。
なんとなく他のバスに乗れと言われている気がするが、雨も降ってるし、面倒なのでタクシーを捕まえる。
タクシーの運ちゃんの隣の席に僕が座ると、タバコをくれるので、タバコを吸わない僕も礼儀として格好だけタバコをふかす。
外見嬢は後ろの席へ。
運転手さんの片言の日本語と手振りで会話らしきものをしながら、誤魔化されないようにルートを地図をチェックしていると(と言っても成都駅から交通飯店へは一直線なので間違うことはない)、交通飯店へ無事到着。
すぐにラサへのツアーの事を調べる。
交通飯店の正面入り口を入ったところの両側と、突き当たった奥に旅行代理店があった。
気の弱そうな白人男性がロビーに突っ立っていたので、「ラサへのツアーは、どこで申し込んだらいいの?」と聞く。
「どこでも値段は一緒だけれど、今日来たのなら、明日飛ぶのは無理だよ。僕は明日行くけどね」との答えが返る。
ふーん、今日来て明日飛ぶのは、無理ってわけね…、確かに普通ならそうかもしれないよね。
しかし、「普通では無理でも、世界旅行者ならば、絶対に明日飛べるはずだ」と、僕は考えるわけなんだ。
旅行代理店で聞くと、ツアーにはいろんなコースがあるようだ。
「成都からラサへの片道航空運賃、ラサからゴルムドまでのバス料金、ラサの三泊のホテル代、3日間のラサ観光(もちろんチベットへ入る許可証を含んで)で3000元」、つまり一元が14円として、4万2千円!。
けっこう高いが、僕の金持ちの友人が以前、個人でチベット旅行の手配をして、それが軽く百万円くらいかかったという話を聞いたばかり。
だから、ラサへ4万円ちょっとで飛べて観光できるなら、気持ち的には「安いなー♪」という感じかな。
チベットでは時々チベット独立運動、中国の弾圧に反対する暴動やデモが起こる。
だから、中国政府は、何か騒動がおきると、突然チベットへの外国人旅行者の立ち入りを禁止したりする。
これからもチベット独立運動がなくなることはない。
おそらくは、中国の各地域の独立運動は、さらに激しくなることだろう。
世の中は、いつ、どんなに、どう転ぶかわからないものだ。
ということは、行けるときに行っておかないと、一生ポタラ宮を実際に自分の目で見れないままになるかもしれないね。
今、目の前に神が示してくださったこのチャンスは逃してはいけない。
そんな失礼なことをしたら、神罰が下ることだろう。
もともと、チベットへ行く気持ちなどほとんどなくてこの旅に出たのに、途中でいろいろな情報が入って、案外簡単に行けるのだと気がついた。
こういう時は、海外旅行の神様が世界旅行者を導いているのだから、今は迷いを捨てて、ただその流れに乗ればいいだけなのだ。
ラサツアーに申し込むにはパスポートのコピーが必要なので、コピー機のある場所の地図を書いてもらって、外見嬢と成都の町へ歩く。
戻ってすぐに、申込書を提出する。
明日出発できるかどうかは、今日の午後7時ごろにわかるそうだ。
しかし、大丈夫、神に愛されている世界旅行者は、必ず、明日飛ぶことになるだろう。
明日出発するならば、成都へいられるのは今日一日だけ。
正直、2泊3日の夜行寝台列車に揺られて成都へついたばかりなのだから、明日くらいゆっくりと休んで、成都見物でもして、ラサへ行くのは明後日にしたいんだけどね。
でも、目の前にチャンスが現れるということは、それを逃してはいけない。
成都で2泊して身体を休めるよりも、「予約なしに成都へ着いて、すぐに申し込んで、翌日ラサへ入った」という話の方が、絶対に面白いんだから。
とすると、だらだらしている時間がもったいない。
焦って、1人勢いよくホテルを飛び出して、早足でぐるぐるんと、すたすたすたっと、ずんずんずんっと、成都の町を歩いて回った。
どうやら町の中心部へまで歩いていったみたいで、大きな広場には毛主席像もみつける。
交通飯店の向こう岸の川端の公園では、いろんなゲームをしている人を発見。
道端に中国人女性が麻雀卓を囲んでいるのを見つけたので、写真を取ると、にっこり笑ってくれた。
世界中の公園には、ゲームをしたりノンビリしたりする人が多いのに、日本にある公園では、そんな光景は絶対に見られないよね。
スペインの田舎では、昼下がりの公園で、老人がドミノをやっているのを見てたこともあったよなー。
日本の公園は、ホームレスが占拠しているか、お母さんが子供を遊ばせているか、サラリーマンが所在なげに暇つぶしする場所で、普通の人がゆっくりノンビリと時間を過ごすところではない。
日本の公園でいい歳をの大人が一人でゆったりベンチに座っていたら、近所の人たちから不審人物と見られて、警察を呼ばれても不思議ではないよ。
公園をちょっと観察しただけでも、ホント、日本社会の基本的な貧しさがわかるよね(涙)。
交通飯店の隣はバスターミナルになっている。
バスターミナルの中の売店で長城ワインを購入して交通飯店へ戻り、レストランでチンタオビールをゆったりと飲んで、夕食を取る。
午後7時に旅行代理店へ行ったら、僕の予想通り、明日ラサへ飛べることになっていた。
世界旅行者がやることは、いつもだいたいはこういう風に、普通の人の旅行とは違って、スムーズに運んでいくものなんだよ。
しかし、明朝午前5時に、ホテルのロビーへ集合しなければならない。
これはちょっと早すぎるので、とっとと部屋に戻って、寝ることにする。
僕は412号室、これはツインベッドの、なかなか広い立派な部屋だ(200元)。
外見純子嬢は、ドミトリーの319号室で外人旅行者と一緒(40元)。
外見嬢は実際、なかなかかわいい女子大生さんだよ。
僕とは、神戸からの燕京号でも、京華飯店でも、夜行寝台でもずっと一緒だったし、北京の観光も一緒にやった。
(注)この話は「亜細亜超特急地獄旅行」を読んでください。燕京号の中で外見純子嬢と出会う話があります。
それに、だいたいだよ、彼女をラサへ誘ったのはこの僕なんだからね。
だから、世界旅行者先生としては、せっかくだから、彼女を部屋に呼んでエッチしてあげてもいい、エッチしてあげるのが義務かもしれない、純子さんもエッチを期待しているだろうしなー、と思わないこともなかった。
でも、明朝5時にロビー集合ということは、4時には起きたい。
まだ、日記もつけなければならないし、1人でワインを飲んで、本でも読んで眠りたい。
ちょっとエッチをしてあげたら、そのまま、ドミに追い返すわけには行かないよ。
世界旅行者は暴走族じゃないのだから、やはりエッチをしたら、人情として、僕の部屋に泊めなければならない。
すると、1人で落ち着いて寝れないからね…、それは困るよ。
ま、エッチしてあげるとしたら、ラサに着いて、ポタラ宮でも見て、一応の旅の目的を達成した後にしようーっと♪
そこで今夜は疲れることはせずに、明日に備えてゆっくりと寝ることに決める。
長城ワインを飲んで、目覚まし時計をかけて、4階の受付嬢に朝4時半にウェークアップコールを頼んで、1人で幸せな眠りに着いた。
002) ラサを歩くと胸がドキドキ、頭がふらふらするのは、高度のせいなのか、それとも長城ワインのせいなのか。
翌朝は、自然と午前4時前には起きる。
そして、目覚まし時計が4時に鳴り、ウエークアップコールがちゃんと4時半にかかってくるのを確認した。
午前5時に交通飯店の一階に降りると、人がロビーからあふれるほどに待っている。
外見嬢が見当たらないので、部屋へ行って起こしてあげた。
昨日「明日飛ぶのは無理」とアドバイスをくれたヤワな白人男性に声をかけて、「ホラ、僕はキミと一緒に飛ぶことになったよ(笑)」と挨拶する。
まだ真っ暗な中を、中型バスに乗り込むと、イヤに若い女の子が多くて、中国語で話をしている。
僕は純子さんに「今は中国人学生も夏休みだから、ラサへ行く人が多いんだねー。日本人は少ないね」と話しかける。
日本人がいないと思ったので、「中国人の女の子も、最近はかわいくなったね。日本人みたいだ」と、話をする。
「日本人は少ないんだねー」と大声で話をしていると、「私は日本人ですよ」と返事をしてくれた女性がいた。
まあ実は、日本語で話をしていたのは、誰か日本人を捜すためでもあったわけだ。
彼女は日本の美術の先生で、同じツアーでも、成都からラサへの往復とも飛行機を使うことになっていた。
そこで、その帰りラサから成都への航空券をガイドから取り上げる手伝いをしてあげたりしたよ。
このように、知らない町へ移動するときは、とにかく、いろいろ情報を交換したり、助け合うためも、何か交渉するためにも、たくさんの人と知り合っていた方が安全なんだよ。
これは、海外個人旅行の大原則なので、すぐにメモっておいてね。
日本で人と知り合っても、ほとんどは何の役にも立たないばかりか、ただ面倒なことが多い。
でも、海外個人旅行をしているときに人と知り合う場合は、その人間関係は必ず役に立つんだ。
その後、徐々にわかってきたのだが、この同じバスに乗って中国語で話をしていた女の子たちは、実は、ほとんどが日本人で、中国へ留学している人たちだったよ…。
留学生なので、中国語でしゃべったみたいだ。
バスは高速道路をひた走り、空港へ着いて、ツアー料金に追加して、さらに空港税50元をぼったくられる…。
中国西南航空のラサへの航空機はエアバスA340−300という機体で、なかなか新しくていい感じだ。
航空券をの券面をチェックすると、成都からラサへの片道航空券の値段は1200元となっている。
片道しか飛行機を使わないツアーが3000元というのは、これはメチャぼったくってるよね。
でもまあ、中国って、ホント、ぼったくるところだから…。
実際このツアーは、ラサからゴルムドへのバス料金220元が含まれていたのだが、どんなに言っても、バスの切符を渡してくれず、誤魔化されてしまったよ(涙)。
機内ではちゃんと洋風の軽い朝食も出てくるが、それに加えて饅頭があるのが中国風だね♪
僕は昨夜の飲み残しの長城ワインをペットボトルに詰めてきたので、朝食をつまみにして機内で飲み干してしまう。
6時40分に出発して、午前9時にはラサの空港へ到着。
空港から中型のバスに乗って、ラサの町まで2時間かかる。
もちろんこのバスの料金はツアーに含まれている。
このバスが「TASHT TARGAY HOTEL」に着いて、そのロビーで各人の部屋割りが発表される。
ツアーにはもちろんこのホテルの宿泊代も含まれている。
割り当てられた僕の部屋の窓からは、見事にポタラ宮も見えて、なかなかいい感じ。
だが、設備をチェックすると、共同トイレが中国式で、つまりウンコをするのが丸見えになる…。
これはまずいと、最初の予定通り(つまり、ラサでは自分でホテルを捜そうと思ってたわけなのでね)、外へホテルを捜しに出かける。
ロビーでさっき知り合った美術教師の女性とばったり会ったので、一緒にホテル探しに出る。
日本人に人気の「ヤクホテル」「バナクショーホテル」をチェックしてまわり、最後に「キレイホテル」で手を打つことにした。
というのは、ホテルを捜して歩き回っているうちに、だんだん体調が悪くなってきて、ラサの通りをちょっと十歩くらい歩くと、息苦しくて立ち止まらなければならない感じになったんだよ。
これって、ひょっとして、高山病かしら…。
僕の長い海外旅行経験を振り返ると、確かに同じような感じ(もっと軽かったが)になった記憶がある。
思い出すと、南米エクアドルの首都キトで、町を見下ろすパネシージョの丘へ登ったことがあったね。
キト自体が2850mの高地にあったのだが、パネシージョの丘はそこからさらに高いところ。
そこへえっちらおっちら登った時に、息が苦しくなって、ちょっと歩くと苦しくて、立ち止まるようなことがあったんだよ。
ただ、あの時も、昼からビールを散々飲んで、丘に歩いていったんだっけ。
つまり、世界旅行者が高地で息苦しくなる時は、キトではビール、ラサではワインを飲んだ後ってことかしらん。
ま、ただの酒飲みなんで、酔っ払ってただけかもね。
キレイホテルのシングルルームにチェックインした。
そして、水をどんどん飲んで、午後はしばらく部屋で横になって過ごした。
夕方になると、体調は回復して、町をうろうろする。
屋台でなんとなく気の会いそうなフランス人を見つけて、話しかける。
彼は、1人でネパールからチベットへやってきたのだが、国境を越える時に、250ドルぼったくられたそうだ。
でも、一般的には個人で国境は越えられないようなので、250ドル払っても安かったのではないか、と後で思ったけれどさ。
夕方、キレイホテルの「タシ2」レストランで食事をしていたら、日本人の集団に出会った。
本を読みながら話を聞いていると、どうやら個人旅行者を集めて、誰かが仕切っているようだった。
でも正直、あんまり頭のよさそうな人たちではなかったので、話しかけるのを遠慮して、僕はビールを飲んで、彼らの話に聞き耳を立てていた。
この内容で、日本人宿の構造がわかるような気がしたね。
ただ、キレイホテルは宿自体が大きいし、人も入れ替わるので、本格的な日本人宿にはなれないと思うが…。
夏でもラサは肌寒く、夜は早めに布団をかぶって寝てしまいました。
003) そして、全世界の旅人の憧れ、ポタラ宮へ。
翌朝9時半に、昨日指示されたとおりに、TASHT TARGAY HOTELに集合する。
ツアーバスがあるというのはウソではなかった。
しかし、バスに乗った客は、昨日一緒に来た人たちのの半分以下だ。
ま、やることのある人たちは、勝手に自分で動き回っているのだろうさ。
僕がこのあまり期待していないバスツアーに参加したのは、それが楽だから。
また、ツアーバスがないとか、ツアーバスがいい加減だとか、そういう話になったら、それはそれで話のネタになるからなんだよ。
そして、このバスは、最初にポタラ宮へと向かった。
バスの中で、純子さんに会った。
彼女は、最初のホテルに泊まったままだ。
で、ホテルが違うし、僕もラサ観光と、ラサからの脱出手段を考えるのに忙しくて、そのまま別れてしまった…。
日本に戻って「亜細亜超特急地獄旅行」を書いていたら、e-mailで「お久しぶりでーす。外見純子です。旅行記読んでますよ♪」と連絡があった。
そこで「元気なら、エッチしませんか?旅行中はできなかったので心残りなんでですよ」と返事をしたっけ。
なんとなくその話は立ち消えになってしまったけれど、僕の青春の綺麗な淡い想い出です。
ところで、ポタラ宮は、これは本当にすごかったね。
ポタラ宮の屋上からの眺めも素晴らしかった。
(でも、詳しくは話さないよ〜♪)
このあと、ラサをツアーや個人でうろついて、ゴルムドへ寝台バスで抜けることになるのだが、それはまた別の話ね。
参照:ゴルムドへの寝台バスの写真
(世界遺産:ポタラ宮)