《ベストセラーへの道》
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4月20日 「ウソツキ旅行者諸君の居場所はない」

僕は、普通の人が信じられないくらい豊富に、旅行経験がある。
また、その旅行経験というものも、ありふれた旅行者とは違って、一歩も二歩も、ぐいっと踏み込んだものだ。
だから、旅行の本を書こうとすると、材料がたくさんありすぎて、こまっている。

僕は、よく本屋で立ち読みじて、クスクス笑うのだが、日本で出版されている普通の旅行の本は、建前だけで、著者自身の個人的な経験が、ほとんどない。
ハワイに10回行って、ハワイ通として、本を書いて、それはそれでいいのだが、ハワイの経験で全世界の旅行を類推しているものまである。
これは、犯罪的だね(笑)。

また、パソ通やインターネットの自称旅行通に多いが、旅行のことを本で調べて、旅行がわかっていると勘違いして、さらに本を書く人たちも多い。
嘘を集めて、嘘の本を書いているわけだ。
ここまでいくと、犯罪的ではなくて、まさしく詐欺罪に問われるだろう。

まあ、こういう人たちは、もともと頭が悪く、小中学校でも、成績が悪かったらしい。
難しいことはさっぱりわからなかったが、旅行の情報というものは、集めるだけなら、とても簡単なので、オウムのように読んだ通りのことを説教していれば、それで旅行通になれると、勘違いしているようだ。

でもね、嘘を集めて、金もうけできる時代は、終わったんだよ。

だって、インターネットで、嘘は嘘だと指摘されてしまうんだからさ。

というわけで、日本で旅行について、なにか言えるのは、本当に本物の世界旅行者しかいないんだよ。
うそつきの皆さんの時代は、終わったんだ。

サヨウナラ。

4月21日 ビザの面白話を削る

ベストセラー本の構成案に沿って、原稿を書いていたら、書く材料が多すぎて、どんどん削っている。

例えば、ビザ関連の話は全部削った。
もちろん、ビザの取り方の建前の話なんかではないよ。

僕は世界中でいろんな国のビザをとりまくってきた。
スペインで
フランスのビザ、アメリカのビザ。ロンドンでエジプトのビザ、チェコスロバキアのビザ。エジプトでヨルダンのビザ。ヨルダンでシリアのビザ。イスタンブールでブルガリアのビザ。ケニアで、ブルンジ、ウガンダ、ルワンダ、ザイール、タンザニア、マラウィのビザ。マラウィでモザンビークのビザ。アメリカでオーストラリアのビザ。コスタリカでエクアドルのビザ。ボリビアでブラジルのビザ。メキシコでベリーズのビザ。ほかにもた〜っくさん。全部自分で取ったんだよ♪

また、日本では、イランビザ、スーダンビザ、エチオピアビザ、米国のビザなど、個人では取りにくいといわれるビザも、全部自分で取った。もちろん他にもたくさん取ったよ。シリア、レバノン、パキスタン、中国なんか、これは、HPに書いてあるよね。

それで、ビザを取るときに提出を要求されるいろんな英文書類の例を付けようかと思ってたんだ。
これは、必要な人には、ものすごく大切なものだからね。
でも、パクられるのがミエミエなので、今回は付けない。

ビザの情報だけで、一冊の本になるので、中途半端に書くよりは、取っておくことにしたよ。

でも、情報だけで本を書くというのは、難しい。
たらたら旅行記を書くのはとても簡単なんだけれど。

僕の書くものは、深くて、情報が詰まっていて、人生までわかった上に、感動まで与えちゃうから、大変だよ。

さて、執筆に取り掛からなくちゃ。

女性ファンからの問い合わせもありますが、一冊書き終えたら、お付き合いしてもいいですよ。

次は、ポルノグラフィーを書く計画ですからね。

(2000/04/21)

4月24日 本を書くのは難しい。

僕の本の最後の中心の旅行記部分、原稿用紙100枚分を書いた。
これで、280枚程度書き終わり、あと20枚程度だ。

でも、そんなに厚くない本なのに、なかなか書くのが難しい。
というのは、中身をびっしり詰め込んだからだよ。

肩に力が入ったり、気ばかり焦って、思い通りに書けない。
ひょっとしたら、読みにくいかもしれないな…。

たらたらとした、旅行記なら楽なんだけれど、変な方向に走ってしまったものだから。
ベストセラーにはなりにくいかもしれない。

この感じだと、売れてもせいぜい、100万部程度が限界かな。

(2000/04/24)

 

4月27日 「280枚書いての感想」

僕は世界旅行者だから、世の中何が起こるかわからない、とよく知っている。
だから、この本の出版のことも、99パーセント確実でも、何がおきるかわからないから、1パーセントは駄目になる可能性を考えている。

でも、万が一駄目になったとしても、それでも、本の構成案を作って、いろいろ考えて、約300枚書いたのはよかった。

それは、じぶんのもつ旅行ネタを、総ざらいして、リストアップしたことだ。

今度の本については、編集者が「西本さんの名刺代わりになるようなものを」と言ってくれたので、ものすごい量のネタを詰め込んである。
ちらりと一行書いたこと程度でも、いわゆる旅行気風に書けば、ずいぶんと引き伸ばせるものばかりだ。

僕の持つネタが強いのは、僕が自分で実際に体験しているってことなんだよ。

クスコでセーターを値切った話にしても、「13ドルを2日かけて11ドルにした」としか書いてなくても、そこには、また別のセーターを買って、それがものすごい色落ちをして、使い物にならなかったとか、クスコよりプーノの方が安かったとか、それを日本のフリーマーケットで売り飛ばしたこととか、その他の経験が結びついているわけだ。
単に、クスコではセーターがいくらいくらで、どのくらい値切れるか、といった聞き書きじゃないんだよ。
また、クスコのセーターの話からは、カトマンズのセーターの話に移れる。
そのセーターを贈ったのは、僕がハッシッシクッキーを黙って食べさせてしまった、京大の女子学生の話につながる。
さらにハッシッシネタは、インドの南部の町トリバンドラム近くのコバラムビーチで、夕陽を見ながら、4人でハッシッシをやった話へと…。
でも、カトマンズのセーターも、ハッシッシクッキーも、コバラムビーチの話も今回は使わなかった。
というか、ネタの量が多いので、使えなかったということなんだ。

旅行の話は、自分の体験以外は、無意味なんだよ。
そして、僕のような深いレベルの多種多様な旅行体験をしている人間は、日本に存在しないから、僕の旅行ネタには価値がある。
価値がある物が本になるのは、必然なんだ。

また、現在のインターネットの旅行サイトは、ほとんどが自己満足で、価値のある情報がなく、存在意味がない。

よく、「海外旅行に持っていく持ち物リスト」などが書いてあるが、それが、旅行経験に裏打ちされてないので、意味がない。参考にもならない。勘違いしている。

つまり日本の海外旅行サイトで、本当に読む価値のある所は、僕のHPしかないということになる。いまでも、形だけ立派なHPがあちこちにあるが、中身はすっからかんだ。
低レベルの旅行者を集めた掲示板を作っても、がやがやうるさいだけで、役に立たない。

すなわち、本物の世界旅行者である僕が、ちゃんとした海外旅行サイトを作る意味があるわけだね。

僕は今回の本を出す話も、その大きな流れの中で、考えている。

うーん、深いな。

(2000/04/27)

4月29日 「インターネットは風俗産業との競争に勝てるか」

ヤフーの掲示板が最近、書き込みやすくなったので、あちこちに、少し書いている。
すると、相変わらず勘違いしたオタク連中が、僕の発言に文句を付けてくる。

文句を付けてくるのはいいんだよ。
中身があればね。
僕は、中身のある発言は、その表現方法や発言者の意図に関わらず評価するんだからさ。

でも、ヤフーの掲示板には、相手にするような中身のある発言がないんだ。
しかも、こういう掲示板に書いている連中は、現実生活でのオチコボレで、友人も恋人もいず、人間関係に失敗している人たちが多い。
だから、彼らが一番に考えているのは、ただひたすら「おだやかに、なかよく」なんだよ。

彼らは、現実生活で、穏やかに仲良くできないから、インターネットにそれを求める。
しかし、インターネットでなれあって、利益になるだろうか?
利益にはならない。

だから、インターネットに必要なものは、情報だけなんだよ。
情報のない会話は、時間と接続料の浪費。

僕のHPには、情報と、知的論理展開が存在する。
だから、読んで役に立つ。
そこで、アクセス数が増える。

ま、馬鹿がアクセスしても理解できないから、怒る人もいるが、それは、怒る人の頭が悪いだけで、僕の責任じゃない。
まあ、頭の悪い人間は、どうせ使いみちがないから、どうでもいいんだ。

いまのままでは、日本のインターネットは、ただの性交相手を見つける手段として、発展するしかないだろう。
それはそれで意味はあるかもしれないが、風俗産業がますます発展していって、誰でも簡単に性欲処理ができるとしたら、いちいちインターネットで、まどろっこしいことをするかな???

つまり、日本のインターネットの発展は、池袋の風俗産業の発展と競争しているってわけね。

(2000/04/29)

5月5日 「残りの20枚を書いた」

以前書いた物を校正して、足りない分の20枚程度を書いた。
ネタは山ほどあるのだけれど、それを一つのテーマにして書くのは、難しい。
というのは、僕の書く物には、必ず気のきいたオチがなければならないしね。

ビザの件は、一つ一つのエピソードを並べたり、ビザ取得のテクニックを並べれば一冊や二冊の本にはなるんだけれど、一応、さらーっと流して、書くことにした。

また、日本人宿というものについても、ちょっと書いた。
これも、日本人宿の一つ一つを書くことも出来るのだけれど、全体像として、僕が泊ったところを中心に、ポイントだけ書いた。

残りは、「序文」と、「あとがき」だが、これは難しい。
イギリス風のユーモアを放り込みたいしね。

(2000/05/05)

5月6日 「17歳の犯罪の原因を考える」

17歳の男性が犯罪を起こしている。
しかし、17歳の女性は、犯罪は起こさず、せいぜい援助交際をしているだけだ。
援助交際は、誰も傷つけない、楽しくキモチイイ人間関係をつくる。

ということは、17歳の男性に不足しているのは、単にセックスなんだよ。
セックスさえ満足させれば、犯罪は起きない。

特に、17歳の男性は、相手が誰でも、ポコチンは立つ。
だから、おばさんが若い男性と援助交際すればいいだけの話だ。

ところで、援助交際が現在のように社会に認められる前は、ブルセラショップで、パンティや制服を売っていた。
ブルセラから、女子高生の援助交際へと進歩したわけだね。

ということは、男子高校生のパンツや制服をおばさんたちが購入するような店を作ることから、男子高校生や若者への援助交際が始まることとなる。

これを、民間が始めるには、リスクが多い。
そこで、東京都が、男子高校生の下着、制服ショップを運営するように、提案しておきたい。

でも、こんなちゃんとしたアイディアは、日本は取り上げないだろうな。

だから、日本の若者の犯罪は減少しないんだよ。

(2000/05/06)

5月8日「バスジャックの若者が本当に目指したものは…セックス」

バスジャックの17歳の若者は、男性乗客を全部バスから降ろして、バスには(運転手以外は)女性だけを残して、高年齢の女性を刺殺した。
これは、誰が考えても、その理由が分かる。
彼は男性はキライで、年寄りの女も嫌い、つまり、若い女の子が大好きってわけだね。

でも、これは、ごく普通のことじゃないかな。

で、17歳になれば、精液が溜まって溜まって仕方がなく、ポコチンが立って立ってたまらない時代だ。
普通は毎日5〜6回マスをこいて、ティッシュがくずかごに山になるんだよね。
僕もそうだったよ。

でも、現代では、昔と違って、マスタベーションばかりしなくても、セックスが開放されているから、普通の男子高校生はみんな、同級生の女子高生や友達から紹介されたヤリマンの女子高生とセックスをバッコンバッコンしている。
それで何の問題もない。
もともと日本という国は、そういう性文化を持っていたわけなのだからね。

ところが、中途半端に勉強が出来てマジメだと、そういう性交文化から排除されてしまうんだよ。
勉強をしなくてセックスばかりしている級友は、あいつはマジメだからセックスなんかしないよなんて思って、ヤリマンを紹介しない。

それで、マジメな成績のいい男の子は、誰でもいいから挿入したい、セックスしたいという純粋な気持ちをごまかすために、テレビゲームにのめり込んで、殺人に走ってしまうんだ。

でも、こういう若い男性の問題は、単純にセックスが不足しているというだけなんだよ。
ただそれだけなんだ。

優秀な男性が、馬鹿な犯罪を起こすのは、国家的な損失だ。
だから、
いい成績を上げたら、近所のヤリマンの女子高生と、いくらでもヤリまくれるような社会を作ればいいだけじゃないか。
そんな社会は、作りにくいと思うが、先生が女子高生に「ダレダレ君は成績もいいし、ちょっとやらせてやってくれないか。数学の成績を10点上げとくからさ」と耳打ちすればいいだけだ。

これですべて解決!

世の中、そんなに難しい話はない。

この単純明快なことがわからないのは、本当に馬鹿だよなー。

(2000/05/08)

5月9日 「建前だけの日本社会がすべての原因」

日本社会は、本当にいろんな事件が起きて、わけがわからなくなってきてるよね。
でも、それは、単に、日本の現在の建前で成立している社会を基準にして考えるからだ。
建前を外せば、すべて単純明解になる。

例えば、学校の先生や警察官がノゾキや痴漢をやったり、援助交際をして逮捕されている。
でも、健康な男性なら、だれだってセックスしたい。
それだけの話だよね。

だとしたら、痴漢がいけないとか、援助交際が駄目だとか、そういう話に持っていくのではなくて、性欲をどう処理したらいいかという方向に考えをすすめなければならない。
だいたい、世の中の問題のほとんどすべては、セックスの不足によって生じているのだから。

だから、まず、売春を合法化することが、第一だ。
だって、国とは、国民の求めるものを与えるのが、その存在理由なんだからさ。

ここで、僕の「援助交際国家論」が重大な意味を持つ。
セックスから目をそらさず、はっきりとセックスの持つ意味を正面から見据えて、国家の在り方の中にセックスをちゃんと位置付けなければならない。

また、人間というものはギャンブルも大好きだ(ちなみに、僕は好きじゃない。儲からないからね)。
だから、日本にカジノを作るのも、大切なことだ。

人は、生まれてきたからには、その人生を楽しく過ごして、そして、死んでいくのが一番正しい。

だから、たくさんセックスができる状況、たくさんギャンブルが出来る環境、たくさん旅行が出来る時間を保証する社会、国家というのが、求められているんだよ。

(2000/05/09)

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